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秋の高麗郷で日本と朝鮮の交流をたどる
2011秋のフィールドワーク



期日:10月22日(土)
集合:西武池袋線高麗駅 改札口 10:30(荒天中止)
参加費:500円(拝観料込み。昼食は各自準備)

 2011年秋のフィールドワークは「高麗郷めぐり」を企画しました。日高市や飯能市などに広がる「高麗郷」と呼ばれる地域は古代に朝鮮半島から渡来した人々によって拓かれた地域です。『続日本紀』に書かれた"高麗王若光"の墓のある聖天院や、若光が祀られ近代においては斉藤実や水野錬太郎といった朝鮮総督府関係者も参拝した高麗神社を見学しました。

○見学コース
西武池袋線高麗駅−巾着田−聖天院(昼食)−高麗神社−高麗家住宅−西武池袋線高麗駅にて解散(15:30頃を予定しております)

○見学場所について
・チャンスン:高麗駅前の広場にある「天下大将軍」「地下女将軍」と刻まれた一対の大きな標柱です。朝鮮で村の守りとしてたてられたチャンスン(将軍標)をかたどったこの駅のシンボルです。


 
・巾着田:巾着の形をしているのでその名があります。現在は多くは休耕田になっていますが、豊かな自然が残っています。曼珠沙華の群生地で有名ですが、見頃は9月下旬ということで残念ながら花は終わってしまっている可能性が高いです。コスモスが見頃を迎えているかもしれません。

・聖天院:高麗山聖天院勝楽寺と号し、日本に移住した高麗人たちの菩提寺として建立されました。不動明王と聖天尊を祀っています。目を引く山門は1832年の建立で、山門の右側に高麗王若光の墓があります。
 また奥には韓国ソウル市のパゴタ公園を模し、壇君や広開王などの歴史上の人物の石造が並んだ「在日朝鮮民族慰霊碑」があります。


 

・高麗神社:716年に武蔵国に新設された高麗郡の首長として当地に赴任した高麗王若光は製陶や製鉄、養蚕など大陸の文化を伝え、各地から移り住んだ高麗人(高句麗人)1799人とともに開拓にあたりました。若光は当地で没し、高麗郡民が若光を「高麗明神」として祀ったことがこの神社のはじまりであるとされています。宮司は若光の子孫が代々つとめており、現在の宮司は60代目になります。
 しかし、近代になって日本の朝鮮侵略が始まると、斉藤実、水野錬太郎、南次郎、小磯国昭ら朝鮮総督府関係者や朝鮮王朝最後の王であった純宗らの名が参拝者に見られます。


 
 
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